大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成元年(あ)134号 決定

本店所在地

東京都千代田区永田町二丁目一〇番二号

株式会社サン・ライプ社

右代表者代表取締役 小川武

本籍

東京都千代田区九段北二丁目四番地

住居

東京都千代田区三番町七番地二-三一三号

会社役員

小川武

昭和六年九月一七日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和六三年一二月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人栃木義宏、同平本祐二、同南木武輝の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫 裁判官 園部逸夫)

平成元年(あ)第一三四号

上告趣意書

被告人 株式会社サン・ライプ社

同 小川武

右の者らに対する法人税法違反事件について、弁護人らの上告趣意は次のとおりである。

平成元年三月一五日

右弁護人 栃木義宏

同 平本祐二

同 南木武輝

最高裁判所第三小法廷 御中

一、原判決の著しい刑の量定不当

原判決は、「被告人株式会社サン・ライプ社を罰金一億二〇〇〇万円に、被告人小川武を懲役一年六月にそれぞれ処する。」とした一審判決の量刑が不当とはいえないとして控訴を棄却したが、右の刑の量定は甚だしく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるので、職権により原判決を破棄されることを求める。

二、本件脱税の動機・目的について

1.原判決の認定と事実誤認

原審において、被告人・弁護人は、被告人らの本件脱税は、尚家の財産保全のために財団設立基金を確保しようとしたことが動機・目的の重要な部分となつていたということを中心的に主張した。

然るに原判決はこの被告人・弁護人の主張を斥け、「被告人及び被告会社の本件脱税の動機が、………財団の基本財産三億円の確保のためであつたとは認められず、従つて、本件犯行の動機を結局自己の金銭的欲求を充たすためであつたと認定した原判決に誤りはない。」として一審判決の認定をそのまま認めたのである。

原判決の右認定には、本件の量刑の基礎となる重要な情状事実である動機・目的についての事実の誤認がある。

以下に事実誤認の内容を具体的に明らかにする。

2.本件の発端―尚家による債務整理のための不動産処分依頼

本件の発端は、昭和五五年一〇月、尚裕の妻啓子が被告人に尚家の負債整理を依頼したことに始まる。

琉球王国第二尚王朝の王家直系の子孫である尚家は、二二代目の当主尚裕の経営する不動産業、レストラン、土産物店のいずれもがうまく行かず、国税・地方税をはじめとして多額の負債をかかえ、昭和五五年九月頃に尚裕は妻啓子に後事を託して所在不明となつてしまつた。

尚家の保有する文化遺産である名勝識名園の土地にも金融業者のために抵当権が設定されレストラン、土産物店は従業員の給料未払いのためにトラブルを生じ債権者は債権の支払いを請求してくるなど、尚啓子の手には到底負いかねる状況にあつた。

そこで尚啓子は同年一〇月、昭和三六年から同四八年までの間尚家の資産を管理した実績があり尚家の信頼厚い被告人に窮状を訴え負債整理を依頼した。

その依頼の趣旨は、尚家所有の不動産を売却することによつて滞納している税金を支払い、尚家の経営する会社の負債を整理して会社運営が継続できるようにし、尚家の生活が成り立つようにするということであつた。

尚家不動産を売却して負債の整理に充てるために、とりあえず被告会社名義に登記を移すこととしたが、それは原判決のいう「競売阻止のため」という意味もあるが、何よりも尚裕本人の所在不明、多額の負債の存在、関係会社の業績不振による信用不安等のため、尚家の名義のままでは金融機関の協力も得られにくく適正な売却も困難であるという状況下にあつて、やむなくとられた方法である。

この点につき、原判決は、被告人が尚家の代理人として、あるいは仲介人として行動するという方法をとることなく、「被告会社が買い取り、これを他に転売して、転売代金の中から仕入代金相当額の金員をもつて尚家の負債支払いをするということにしたのは、被告人及び被告会社が転売による利益を手中にしたいがためであつたといわざるを得ない。」と認定している。

然し、尚家不動産の処分、尚家負債の整理の経過をみるならば、当時、被告人及び尚啓子において、尚家不動産への差押・仮差押を回避し、不動産を適正価額で処分して行くためには、実質的に破産状態にある尚裕名義から被告会社へのとりあえずの名義変更はやむを得ないものであり、「転売利益を手中にしたいがためであつた」と認定するのは、あまりに一面的であつて、事実を歪曲するものである。

被告人らは不動産の登記移転を受けた後、とりあえず被告会社名義で借り入れをして緊急の債務の処理に充て、同五六年四月以後右不動産を処分して行つた。

その結果、同五八年四月末までに、右不動産処分代金から五億二千万円を尚家及び関連会社の負債処理に充てたのである(被告人の昭和六二年二月一九日付検面調書添付の資料〈2〉参照)。これにより尚家は経済的苦境を脱し名勝識名園の敷地の競売も取り下げられ、関連会社の経営も継続できることとなつた。

原判決も「尚家が被告人の労を多として感謝の念を持つていることが認められる」と認定しているように、被告人は当時の状況の下で負債整理のためにベストを尽くしたものと評価されるべきであり、この点は本件の間接的情状の一つとして斟酌されるべきものである。

3.本件の土地価格(仕切り値)の設定

尚啓子と被告人の間においては、昭和五五年一二月中にとりあえず名義移転した土地について、同五六年一月か二月中に尚家側の譲渡税申告の必要性を考慮して、松田公認会計士とも相談のうえ一m2当り一四、〇〇〇円という単価の設定をした。

結果的にみて右設定の単価は転売価額よりも相当低廉であつたために、被告会社に多額の転売益を生じることになるが、それは当初から意図してのこととはいえない。

被告人においても、当時の不動産業者の話では該当物件は一m2当り一五、〇〇〇円という声が強かったのを一m2当り一四、〇〇〇円に設定したという程度の認識であつた(被告人の昭和六二年二月一八日付検面調書第七項)。また、実際に第三者に売却する以前に単価設定をしたのであるから、同五六年三月の尚家の申告納税額をあまり高額なものにしたくないという意識も働いたものと考えられる。

いずれにせよ、一m2当り一四、〇〇〇円という単価設定は、被告会社における多額の転売利益を意図してなされたものとまではいえない。

尚家と被告人らの間においては、売買契約書も作成されず右の当初の単価設定の話し合いの後は、売買代金額について話し合いのなされた形跡もなく、被告人は、尚家の負債整理等に必要な資金を必要の都度支払うという状態が続く。

右の単価設定は、あくまでも一応のものであり、変更可能な浮動的性格のものであつた。

被告人の昭和六〇年一月二五日付の質問てん末書中の問九に対する答において

「尚家から購入した物件についての支払いとして、尚裕さんの負債整理等に直接充てている金額もありまして、私自身の整理の状況が全くなされておらず支払いが多くなされていると思います。

仕入価額は、はっきりしておりますので支払い超過部分の金額については、尚家との貸借関係をはっきりさせるため、契約書などを作成する積りでおります。」

とあるのは、被告人が、尚家との間の一応の売買仕切り値を意識することなく、尚家の負債整理等の必要資金を支出していたことを示すものであり、国税の査察が入った結果として、右の一応の設定単価であったものを固定させられ、仕切り値を超過する二五〇〇万円について貸金として計上処理させられたものであることをうかがわせる。

原判決が「仕切値は確定的なものとして合意された。」と認定するのは、以上の事情に照らして誤りであると考える。

国税の査察が入つていなければ、仕切限度額超過の意識なくして、引き続き尚家の必要に応じて被告会社から資金が渡されていたであろうことは疑いを容れないのである。右のような両者間の関係の下における土地売却処分と処分代金の運用は、税務的観点から見ると杜撰極りないといえるであろうが、かつての昭和四八年までの被告会社の管理時代は、そのような形においての土地の信託と資金づくりがなされていたものであり、両者の間に違法性の意識が稀薄であつたことは一概に責められないように思われる。

なお、原審において証人尚裕が証言しているとおり、被告人は昭和五六年から今日まで継続して尚家の事業資金、生計資金の資金ぐりをしており、前記の仕切値を超過した二五〇〇万円の返還がなされた事実もない。

原判決は、

「尚家が被告人に依頼した内容は、尚家や関係会社の不動産を処分して尚家や関係会社の負担する負債整理をすることにあり、尚家の生活資金作り、関係会社の運営資金作り、財団の基金作りにまで及ぶものではなかつたことが明らかである。」

というが、被告人は右尚証言のとおり、昭和五六年以来「尚家の生活資金作り、関係会社の運営資金作り」を一身に担つて来たもので、被告人が今後尚家の資金繰りを手伝えないとすると、尚家は「大変困つたことになる」のが事実であり、尚家の依頼の趣旨に関する原判決の右認定は誤りである。

4.財団設立の準備と基金の準備

被告人は、昭和三六年に被告会社に入社して以来、尚家の財産を財団法人として保全することを考えていた(被告人の一審公判廷における第一回供述)。

尚家は、玉陵・崇元寺・識名園といつた文化遺産のほか、琉球王国伝来のぼう大な書物・工芸品・織物その他の文物を東京国立博物館その他に寄託する形で所有していたが(原審における弁護人提出書証No.9~24、26)それらの文物の価値は計り知れないものであり、その散逸も危惧されていた。

被告人は、尚啓子からの依頼により、昭和五五年一〇月頃から尚家負債の整理を進めて行く過程において、同五一年以来、文化庁・沖縄県・那覇市の補助金に尚家負担金を加えて、名勝識名園の修復・再建計画が進められていること(原審における弁護人提出書証No.27)、文化庁等が識名園・玉陵・崇元寺などの尚裕個人所有の歴史的・文化的資産の将来に重大な危惧を抱いていることを知つた。

実際、文化庁・沖縄県などは、尚裕の財産管理能力に疑問を抱き、かつ尚裕の相続時における財産の分散、減少をおそれ、少なくとも尚家の財産のうち前述の歴史的・文化的財産について財団化を希望していた。

被告人は、昭和五七年初めに尚裕の長男尚衛とともに文化庁文化財保護部建造物課課長鈴木嘉吉と会い、文化庁が尚家遺産の財団化を強く希望していることを確認し、それ以後は、実際に松田公認会計士に設立手続の進行方を相談し、設立基金として少なくとも三億円程度の現金を準備する必要があることをも知らされた(原審における被告人の供述)。

尚啓子から負債整理の依頼のあつた当初の時点には、不動産売却代金から財団基金をプールするという話は出ていなかつたが、不動産の売却を進めていくなかて予想外に転売利益も増え、昭和五八年四月頃の時点においては、不動産売却代金のうち三億円を財団設立基金に充てることを決め、尚啓子にもその旨伝えて承諾を得ているのである(原審における被告人供述及び尚裕証言)。

ところが設立基金の準備は出来ても肝心の尚裕の所在が不明であつたため、財団設立手続を実際にそれ以上進めることができなかつた。

被告人は、尚裕が戻つて来た昭和五八年七月頃に、尚裕を代表とする任意団体琉球文化保存会を再建し、その事務所を被告会社の事務所におき、それ以後は同会が玉陵の運営を担当するとともに、識名園の修復の仕事をも進めて行き同会を財団に発展させて行くこととした。

然るに、同年一〇月頃より国税の査察が入つたため、財団化構想は一時中断せざるを得なかつたのである。

5.被告会社の法人税の不申告

被告人小川は、被告会社の継続登記(昭和五五年一一月)以後の経理、税務面について旧知の松田松千代公認会計士に依頼していた。

同会計士は、日本公認会計士協会常務理事・沖縄会会長の要職にあつた。

被告人はまた、尚家資産の財団法人化の手続をも松田会計士に依頼しており、被告会社が不動産転売利益を財団法人の基本財産として寄付した場合、その寄付金分を被告会社の損金として処理する方法の有無を相談したところ、同会計士は損金算入の可能性を否定せず、調査・検討することを約した。

ところが、松田会計士は、右損金算入の可否についての結論を出さず、被告人と同会計士の間において、税申告の基本方針について十分煮つめないままに時日が経過し、同会計士は法人税申告手続をとらなかつた。

原判決は、この点につき

「被告人は、一方で財団基金を裏金として貯めるために脱税したといい他方では被告会社が三億円を財団基金として寄付すべく損金算入の可否を公認会計士に相談し、これが明確になり次第申告する考えであつたともいうのであるが、裏金として蓄積した金は、使用する場合にも裏で使用するほかなく、他方、寄付金を損金算入しようとするに当たつては、この金の出所を公表せざるを得ないのであつて、財団基金用に裏金として多額の金員を蓄積した上これを財団に寄付し、さらにこれを損金算入ということで公表処理しようとすることは不可能ないし至難である」

と認定するが、これは誤解に基づく認定といわざるを得ない。

本件においては、尚家と被告会社間の売買仕切値が一応設定されており、かつ被告会社と転売先の間の売買金額は明確で裏取引は一切ない。従つて、被告会社が裏金として蓄積するといつても、二重帳簿や裏契約で裏金を作つたという類のこととは異なり、損金算入の可否の結論が出て税申告をするときは転売による代金の帰すうはその出所をも含めて明確となるのである。「裏金として蓄積」といつても税申告をするまでの間、休眠会社名義で預金していたということに過ぎず税申告の際には、これを真正名義に戻して公表処理することに格別の困難があるとは考えられない。

右に述べた財団基金の準備に関して、原判決は

「そもそも被告人のいう財団の基金作りというのは、被告人や被告会社の固有財産から支出するのではなく、尚家の不動産を処分して得た金員から支出しようというのであるから、右不動産処分の目的のなかに右財団の基金作りもあつたというのならば、右不動産の処分代金は尚家に引き渡された上、尚家から財団へ醵出されるのが筋道であるのにそのような方途は全く考えられていない」

と認定するが、〈1〉昭和五五~同五八年頃においては、尚家は破産状態にあり、いかなる債権者の出現があるかも知れぬ状態であつたから、尚家の名義において基金を準備しておくことには不安があつたこと、〈2〉寄付金の損金算入の方途を探りつつ税申告をしない状態を続けるというのは、被告人らの責任と危険負担においてしていたものであること、を考えると原判決の右認定は首肯できない。

また原判決は

「右不動産処分による転売利益相当分の金員は被告人が主宰する休眠会社名義の預金にしたり、自己のための資産の購入、日常生活費等に充当していたのであつて、財団基金用として分別して貯蓄・管理されていた分があるわけではないこと、被告人は右休眠会社名義の貯金から寄付するつもりでいたというのであるが、確実に寄付を実行する手筈を整えていた形跡は何らない」

というのであるが、被告人らは三井銀行本店営業部半蔵門出張所の琉球農業開発株式会社名義等の定期預金昭和五八年四月期で四口・三五三、七七二、五〇〇円あつた)をもつて寄付金に充てようと考えていたものである。

被告人は、三億円の寄付金の損金算入の方策がたつことを期待しつつ預金状態の継続をしたものであり、寄付の実行はいつでも可能な状態にあつたのであるから、原判決の右認定も不当であるといわざるを得ない。

6.被告人の動機・目的の真実性

以上に述べたとおり、被告人の本件犯行の動機・目的は尚家の文化的財産保全のために財団基金を確保しようと意図した点にあるのである。

ところが、原判決は、

「なるほど、被告人は検察官に対する昭和六二年一月二八日付供述調書において、『尚家の財産を財団法人として保全したいという希望と、自分が代表者となつている休眠会社七社を実際に営業活動させて、事業家としてスタートするつもりでいたので、これらの資金を蓄積するために脱税して利益を表に出さず、裏金として貯めていたのです。』と供述しているのであるが、原審公判廷において、右供述調書の部分に触れつつ脱税の動機を尋ねられた際には『尚家の財産の保全とか、財団法人としての保全といつたことは全く本件とは関係はない』として、脱税の動機が財団の基金作りにあつたのではないと述べているのであつて、当審における被告人の右主張にそう供述はたやすく信用することができない。」

と判示する。

然しながら被告人は、一審においては、本件の動機・目的を尚家との関係において明らかにすることは、尚家を中心とする財団設立構想の実現に打撃を与え、尚家の名誉を損なうかも知れないことを強くおそれていたために、真実の供述をなし得なかつたのである。ところが、原審においては財団設立の目処も立つたところからあえて真実を供述したものであつてそこに作為はない。

原審に、尚裕が証人として出廷し、被告人の供述に副う証言をしたことは極めて重要である。仮に原判決のいうように被告人らが利益をむさぼり尚家の不動産を利用して私的に転売利益を得ることに終始していたとするならば、尚裕が右の如き証言をする筈もないであろう。

国税による本件脱税の摘発後も、被告人が琉球農業開発株式会社名義で三億円を調達し、これを尚裕に貸し付ける形で三億円の財団基金を準備した(原審の弁護人提出書証No.29、30)ことは、被告人の動機・目的の真実性を裏付けるものである。

原判決は、本件における被告人の動機・目的について事実を誤認しており、その誤認が量刑に著しく影響していることは明らかである。

三、一審判決後の情状について

1.財団法人琉球文化振興財団の設立への寄与

一審判決後、財団法人設立の構想は進展した。

前述のとおり被告人は、昭和六二年七月に琉球農業開発名義で調達した金三億円を尚家に貸し付けることによつて(原審の弁護人提出書証No.29、30)財団の基本財産準備に協力した。

これによつて財団設立への動きは加速し、紆余曲折を経て同六三年八月八日には台東区と提携する覚書がかわされ(同No.15)、多年の懸案であつた琉球国第二尚王朝の文化遺産は、散逸することなく財団に寄付されることとなつた。

この財団設立の過程において、被告人は全面的に協力し、関与して来たものであつて、その寄与の度合は決して低いものではない。

第二尚王朝の貴重な文化遺産が財団によつて保存、管理され、将来は一般に公開され利用されるということは、極めて有意義なことであり、わが国の歴史、文化の研究にとつて大きな意味を持つことになる。

被告人のこの点における貢献は、本件における情状として原判決も指摘しているところではあるが、その評価は必ずしも量刑に反映しているとはいえない。

原判決には量刑事由の判断において不十分な点があるというべきである。

2.滞納所得税の支払い

被告人は既に昭和六二年五月一四日までに、本件法人税を重加算税・延滞税を含め合計七一八、五一五、〇〇〇円(本件譲渡所得の九七%強)支払って完済した。

ところで、一審において検察官は、被告人が昭和五〇年と同五九年の申告所得税を滞納していることを強く指摘し、一審判決も「被告人自身の過去の所得税の申告・納入状況等に照らすと云々」と判示して、右所得税の滞納を被告人にとつての不利な情状の一つとして扱つている。

そこで、被告人は昭和六三年一二月五日、右滞納所得税本税全額(一億一八三八万三五二八円)の支払い措置をとつた(原審における弁護人提出書証No.32~36)

右の支払い分のうち九一三八万三五二八円については、琉球農業開発振出被告人裏書の手形による支払いであり、本年一二月末日までに決済することとなつており、被告人は本年中は右手形の決済のために多大の努力を払つていかなければならない。

被告人による右滞納所得税本税の支払いとそのための努力とは、その金額の多額なことも考慮すると、被告人の情状面において斟酌すべき事情であるといわなければならない。

ところが、原判決はこの点に全く触れていない。原判決言渡当日に弁護人が弁論再開を申し立てて右滞納所得税支払いの証拠調べがなされたために、右の点につき十分考慮される余裕がなかつたということであろうか。

しかし、一般的にいつても、被告人が懸命の努力をし、一審判決でも指摘された一億円を超える滞納所得税本税につき支払いの措置をとつたのに、情状面で一顧だにされていないというのはあまりにも不当なことではなかろうか。

原判決は、この点において量刑に少なからぬ影響を与えるべき事実を不当に看過したものというべきである。

四、結び

原判決には以上にみたような量刑に関する事実の誤認、評価の誤り、見落しなどがあるほか、本件脱税の手段・態様の面においても、一審判決の判断をそのまま是認しているなどの誤りがあり、それらの結果として、一審判決の量刑を是認しているものであるが、これは甚だしく不当であり、著しく正義に反するので原判決を速やかに破棄されることを求める。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例